1993 12/30 〜 1994 1/6




カイロ ギザ

アブシンベル大神殿
アスワン・ハイダム建設で出来たナセル湖の底に沈む危機となったが、1960年からユネスコ主導 による救済運動が開始され、日本を含む35ヵ国の資金援助、3600万ドル、4年をかけて移築した。
移築方法は、神殿を1042個のブロックに切断して、元の位置より65メートル高い現在の場所に移した。
この神殿は今から3300年も前に造られたもので、ラムセス2世の強大な権力を示している。
正面の4体の巨像は、ラムセス2世の姿を表している
至聖所
  年2回しか見られない古代の謎の光
アブシンベル大神殿は、年2回神殿内部の至聖所に朝日が差し込むように造られている。その日とは、2月22日と10月22日で、ラムセス2世の誕生日と戴冠式の日にあたるとされる
この日の朝日は一番奥の至聖所までサーッとつらぬく。至聖所の奥には左からプタハ神、アモン・ラー神、ラムセス2世、ラー・ハラクティー神の座像があるが、まず国家の最高神であったアモン・ラー神が朝日のスポットライトを浴びる。太陽光線はその後ラムセス2世とラー・ハラクティー神を照らして、消えていく。プタハ神には、まったく当たらないわけだが、これはプタハ神が「闇の神」であるためといわれている。これは、ラムセス2世当時の建築技術の高さを示すものだ。
それにしても国家の最高神と二人でスポットライトを、その次に空の神、ラー・ハラクティー神とスポットライトを浴びるように造らせた、ラムセス2世自身の自己顕示欲にはスゴイものがある
ラムセス
2世
ブタハ神 アモン・ラー神 ラー
ハラクティー神

アブシンベル小神殿

大神殿と小神殿
この神殿もラムセス2世によって建てられたものだが、自分のためではなく王妃ネフェタリアのために建てられたもの。
正面には4体のラムセス2世像に挟まれるように2体の王妃ネフェタリアの像が立っている。
ネフェタリアの足元には子供の像を見ることができる

“アスワンの砂”をお土産に拾って持ち帰る。ほどよい砂丘が広がる地点、つまり砂採りスポットでバスを止め、砂に足を取られながら砂丘に入りペットボトルやビニール袋に砂を拾い始める。ここの砂は見事な自然の造作物で日本の砂と違い、色は薄い茶褐色、きめ細かく、掌で包めないほどサラサラと流れ落ちる。砂時計にも使われているというとても美しい砂だ。
アスワンの砂

アスワン・ハイ・ダム

この発電施設を住みかとする野良犬

全人口の8割以上が農民であるエジプトにとってナイル川の定期的な氾濫は飢饉や災害をもたらすため、深刻な問題だったそうだ。
そして、さらに増え続ける人口に対して農地用水と電力の確保も必要ということで、このダムが建造された。
ダムの発電能力は、年間100億キロワット。
そしてせき止めた川の水によりナセル湖と呼ばれ人造の湖がうまれた。
この湖は、琵琶湖の7.5倍というすごいスケールの大きさだ。
それまで使われていたアスワンダムの上流約7キロに建設されたアスワンハイダムが完成したのは1972年。全長3600m、高さ111m、頂上部の幅40mという巨大なダムは、もちろん世界最大だ。

ナセル湖をバックに

マウスをのせて下さい
その1 その2 その3

切りかけのオベリスク
アスワンは神殿建設に必要な花崗岩の産地で、ここから切り出された石材は船を使ってナイル川沿いに各地に運ばれていった。
この切りかけのオベリスクは長さ約42mで、完成していれば、エジプトでも最大級のオベリスクになっていたが、途中でひびが入ってしまいそのまま放置されてしまった。ちなみに、古代エジプトにおける花崗岩の切り出し方は、石の割れ目に木片を入れ、そこに水をかける。水を吸い込んだ木が膨張し、石の割れ目が広がる。それを繰り返して、石を切り出したのだそうだ。
「オベリスク」とはギリシャ人がつけた呼び名で、意味は「焼き串」。肉を刺して焼く串に似ているからなんだとか?太陽神崇拝の象徴で頂上がとがった背の高い石の柱みたいなもの。

アスワン・スーク(市場)の風景

色とりどりの香辛料を売る店、カラフルなアラブ衣装を広げた店、大きなナイフを振り回して羊の肉の塊や、魚を器用におろしている肉屋、魚屋などがある。1軒ずつ覗いて歩くだけでも、じゅうぶん楽しめる

マウスをのせて下さい
お肉屋さん 香辛料、バッグ
路上で魚の解体 女性衣装、スカーフ
写真撮影でバクシーシ 銀製品、ガラベーヤ
へちま ガラベーヤを購入
雑貨
衣装


バクシーシ


バクシーシは本来、イスラム教での「五行」(「信仰告白」「礼拝」「断食」「巡礼」「喜捨」)の「喜捨」の事で
富める者が貧しい者へ行う行為であって、その解釈が捻じ曲げられ、富める物=外国人からは、ボってでも金をふんだくれって考えと、西洋での「チップ」の感覚が中途半端に結びついてしまった結果だろう。
観光客がバクシーシをねだられる場面は、遺跡でその門番に写真を撮ってもらったり、
門番と一緒に写真を撮ったり(たいがい門番の方から自分を撮れと言っているのにバクシーシを要求してくる。非常に不愉快だ)
ほとんどの人がそうではないが、中には本当に貧しい人もいる。それにしても「バクシーシ」が宗教的思想からはずれて、単なる金集めの道具として使われているのはちょっと寂しく思われる。

イシス女神 イシス神殿
「ナイルの真珠」と呼ばれる保存状態の良い美しい神殿でアスワンの守護神のひとつであるイシス神を祀っている。
これはもともとフィラエ島にあったが、アスワンハイダムの完成でナセル湖に沈んでしまったが、ユネスコの救済により近くのアギルキア島にそっくりそのまま移築された数少ない遺跡の1つである。
トラヤヌス帝の東屋

イシス神の休息の場として造られたもので、14本の開花式パピルス柱が正方形に並ぶ。

ファルーカ
アスワンで、陽も少し沈みかけた4時過ぎ、ファルーカと呼ばれる帆かけ船に乗りナイル川セ−リングに出かける。まずは、自力で岸から離れ、青年がマストに帆を張ると、静かに風をはらんでス−ッと音もなく川面を滑り出す。帆船ファル−カは帆に風をはらませながら風にまかせてナイル川を気持ちよく走る。ゆれもエンジンの音もない静かなセ−リングである。しばらくすると、船頭がタンバリン風の太鼓を持ち出して巧みなリズムを刻みながら彼らの部族の歌を歌ってくれた。ヌビア族といわれ南エジプトに多く住む彼らは、アフリカ系民族の多くがそうであるように、とてもリズム感が良い。独特のリズムとメロディ−が、ナイルの流れに乗って響きわたる。
そのうち、小さな舟の上では皆で肩を組んでヌビアンフォークダンスが始まった。
空は、鮮やかな青色からオレンジ色にだんだん変わってきて
その情景を目にすると、もう現実を忘れてしまいそうだ。

タンバリン風の太鼓

ナイルの夕暮れ

みんなでヌビアンフォークダンス
アガサクリスティー「ナイル殺人事件」の舞台となったホテル「オールド・カタラクトホテル」