1993 12/30 〜 1994 1/6


カイロ


ギザ

カイロ空港
途中マニラとバンコックを経由し無事カイロ空港着
大都会カイロ。旅のはじまりはここから
まち全体が、排気ガスと砂にまみれ霞んでぼんやりしているし、道は、混雑してクラクションの響きで喧騒としている。道には古い車に混じり、ピッカピカのベンツやBMW、さらに馬車やロバ車などが入り交じって走っている。そして、その間を縫うように人が道を横断していく。本当に、ここが優雅な古代エジプト王朝が、栄華を誇っていた国なのか・・・と、思ってしまう。
何もかも、ごちゃまぜになった喧噪の「るつぼ」だ
子供達は7時間の時差も何のその、すぐにエジプトの環境に溶け込み、いたって元気!
ハン・ハリーリー市場
食料品
日用品からお土産まで品揃えがすごい。迷路のような狭い路地に洋服、銀細工、宝飾、など色々なジャンルの店がひしめき合っている。ちょっと横道に入ると生肉がぶらさがっていたり、宗教グッズが売られていたりもする。
日本人の気を引こうとして「ヤマモトヤマ」、「バザールでござーる。」「おしん」等と声をかけてくる。「あなたと私、友達」といって特別な値引きのように見せかけて、如何に相手を騙して高く売るか・・大抵は最初に切り出した値段の半分から1/3位まで下がると見て大丈夫だ。買う予定のないときははっきり「ノーサンキュ−」を言わないとしつこい。行くところ行くところ寄ってくるお土産やさんにはちょっと閉口する

衣料品、絹のスカーフ

羊の肉

革製品、銀細工

エジプト考古学博物館
エジプト考古学博物館には沢山の遺物が陳列されている。2階建で1階は王朝時代別に、2階はカテゴリーに分けられ展示されており、展示室は100以上ありゆっくり見て歩くには数日を要する。中でも圧巻は若きツタンカーメンの王墓の副葬品で、盗掘されず殆ど完全な状態で発見されたと言う。
あとで,王家の谷にあるツタンカーメン王の墓に行ったのだが,どう考えてもこんなにたくさんの宝物が入っていたとは信じられない。又、日本ではまだ縄文時代だった頃に、このような高い技術と文化があったとは大変、感動した。

人体型の棺桶

黄金の人形たち
死後の世界への先導役である
モハメッド・アリ・モスク
1857年に完成。イスタンブールのモスクをマネたもので、他のエジプトのモスクとはやや雰囲気が異なる。外観も派手だが、内装もステンドグラスやシャンデリア、モスクランプなど、豪勢な作りになっている
天井

中庭にあるみそぎの噴水

ルクソール神殿のオベリスクと引き替えに
フランスから貰った時計

シタデルよりモスクが林立するカイロを望む

 カイロに着いた日は金曜日。イスラム教では曜日を土曜から数え始め、金曜日が安息日(休日)。その日はイスラム教の集団礼拝日であり、正午近くになると街中コーランが鳴り響き、モスクに入れない人達が道路や広場にゴザを広げて熱心に礼拝を繰り返している姿が有った。その光景を見て、いま我々は確かにエジプト・イスラムの世界に来ているのだと感動とカルチャーショックを受けた。
 敬虔なムスリムは、おでこの辺りにあざができている。これは、礼拝の際に頭を地面にこすり付ける為、自然とあざになってしまうのだそうだ。そして、彼らはそれを勲章として誇りに感じている。一日に夜明け前、昼すぎ、午後、日没後、夜と5回行われる礼拝を延々と繰り返し、信仰を明らかにする姿は、生活の中に宗教が有るのでは無く、全てが、イスラム教の上に成り立っているということがつくづく思い知らされる。
また、一夜明けて次の日に、突然、どこからともなく窓外に響き渡る大きな声で驚かされ、びっくりして目を覚ます。拡声器でボリュ−ムアップされたアザ−ン(祈りの時間を告げるお知らせ)の声は、まだ夜も明けきれないうす暗いカイロの街に、朝の静けさを破って、いっぱいに響き渡る。時計を見ると、5時ちょっと前である。イスラム教徒の朝の祈りが始まったのだ。